とおのおと広報担当ぷくまいのぷくです!
インタビュー最後の作家さんはストリートアートのMOYAさんです!
インタビューを終えたぷくまい&たくが共通で思ったこと・・・。「MOYAさん(くん)めっちゃええ人やん!!」でした。(笑)
インタビューの中で、「自分は見た目こんなんだから普通の人と同じことしてもいい評価をされているだけ」とおっしゃっていましたが、それだけじゃないんですよ!
しゃべればわかるにじみ出るええ人オーラ!黙っていれば・・・ね・・・ちょっとだけ・・・ね・・・。(笑)
さて、気を取り直してMOYAさんと言えば代表的なMOYAパターンですが、どうやってできたのか!?気になっていたので教えていただきました。
いつできたのかと言われたら、形は変化してきているけど大学のころにできたものだそうです。
模倣から始まり、いろいろと変化していき、今の形になったのはここ数年だそうです。
そんなMOYAさんのアーティストとしての人生は波瀾万丈でした。
岡山県で生まれたMOYAさん。小さいことから絵を描くのが好きで、中高はバスケ部(高校では県トップ5!)に入っていましたが、高校の美術では学年No.1であり、美術の先生から美大はどうだと進められたそうです。
美大卒業後、アートの道へと思いきや、そこからなかなかおもしろい経歴を持つMOYAさん。実は以前は料理人だったんです。
京都の美大を卒業後、絵を描きながらフリーターをしていましたが、実際はただのフリーター状態で、東京で自分のスタイルが通用するか挑戦したときもバイトでイタリアンをやっていたそうです。(飲食バイトの経験から3か月で厨房を任されるほどに!?)
そこから京都に帰ってきてからは飲食を本気でやるために調理師免許を取得してカフェで働いていました。
絵を描くことに疲れていたMOYAさんは、仕事としての絵をやめたころは肩の力が抜け、昔のように単純に絵を描くことが楽しかったとおっしゃっていました。
しかしMOYAさんの周りにいるお仲間がMOYAさんに絵を描くことを辞めさせなかったのです。
特にキーマンだと思ったのが美大の先輩でした。勝手にライブペインティングのイベントを組まれていたとちょっと困ったようにおっしゃっていましたが、その先輩にはとても感謝されていましたし、きっとMOYAさんの絵と本気で向き合わせるのに繋ぎ止めていたのはその方だったんじゃないかとぷくは思います。
そこからあるきっかけがあり、自分の本当にやりたいことはいつまでもできるわけじゃないと決意し、飲食を辞めて絵だけでやっていくことになりました。
最初にMOYAさんがええ人やって書きましたが、MOYAさんがええ人やから周りに支えてくださる仲間が集まり、仲間が集まるからMOYAさんがええ人なんやとインタビューしていく中で強く感じました。
美大を進めてくれた美術の先生、「外の世界で腕を磨け、絵を辞めるなよ」と言ってくれた美大の先生、無理やりイベントに引き込んでくれた先輩や仲間たち、そして反対していたのに最後にはサポートするからやりたいことをやれと言ってくれたお父さん。
書き出してみたらMOYAさんは素敵な人たちに囲まれていますよね、そらMOYAさんええ人ですよね。
そんなMOYAさんのとおのおとの作品ですが、林直さんとの2人展、体育館でのソロ展示、どちらも当尾地域を感じ、取り込んで出来上がった作品となっています。
普段のペイントアートとは違った作品へのアプローチであり、今回参加したとおのおとはMOYAさんにとって異色であり、また、多くの作家と関わることが本当にためになったそうです。
ペイントアーティストとして今後の展望としては、どこで描きたいとかではなく、ペイントアートでいろんな行ったことのない土地に行きたい。
そうやって多くの土地に自分の作品でタグを残していくことがペイントアーティストの醍醐味であるとのことでした。
最後に・・・、「MOYA」って名前の由来についてもぷくはずっと気になっていました。
その由来は・・・、実はバスケ部の頃に背はどんどん伸びるのに激しい運動量でひょろひょろだったMOYA少年。周りの友達からもやしっ子の「もや」とのあだ名がつき、それを採用してアーティスト名は「MOYA」にしたということです。
MOYAさんがもやしっ子・・・。今からは想像できない・・・、だから照れながらお話くださったんですね。(笑)